自己のためにする意思とは、ある物を支配することによって生ずる事実上の利益を、自己のために享受しようとする意思のことです。
「所持」とともに、占有(権)の成立要件となっています。
19世紀のドイツでは、占有(権)の成立要件として、「所持」という客観的状態(体素)のほかに、「自己のためにする意思」といった主観的・内面的要素(心素)を必要とするかの争いがありましたが、我が国の民法ではこの主観的要素を必要とする立場(主観説)に立ちました。
しかし、このような意思はそれ自体観念的なものであり、物を事実上支配(所持)している者が現実にこのような意思を有しているかどうかを、外部から知覚によって直接知ることはできません。
ですので、このような意思の存在が常に具体的に証明されなければ占有の成立は認められないとすると、現にある事実上の状態を法的に保護し、社会秩序を維持しようとする占有制度の思想にそぐわない結果が生じ得ます。
また、そもそも物を事実上支配している者は、そこから何らかの利益を得ようとする意思で支配しているのが普通だといえます。
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